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山あいの農家、ビジネスマンになる。苦悩をチャンスに変えた
“天空の柚子胡椒”誕生ストーリー①

中武 洋文さん(41歳/横野地区)

西米良村横野地区。川沿いを走る国道219号から坂道を登った山の中腹、標高400メートルの場所に、祖母、両親、妻と2人の息子と暮らす中武洋文さんの自宅がある。谷を挟んだ目前には山々の稜線が幾重にも重なり、雲が流れ刻々と変わる景色はいつまでも見飽きることがない。

農家の“長男あるある”で就農

西米良村で農家の長男として生まれ育ち、柚子や米、ほおずきの生産農家として家族を支える洋文さん。自他共に認める“ガジェット好き”で、家族は数年前から複数台の「アレクサ」と共に暮らしている。

この山村で就農することは、自分で望んだ道なのだろうか。

「いや〜農家の長男あるあるですよね。小さい頃から『お前はいずれ農家を継ぐんだろう』と周りに言われて育ったので、そんなものだと思っていました。さほど抵抗心もなく、うまく刷り込まれたというか(笑)」
高校のない同村から、同じ児湯郡にある高鍋農業高校に進学。自然な流れで農業の道を歩んでいた高校3年の夏、ブラジルで大農園を営む日本人をたまたまテレビで見たのだが、母親が「ああこの●●さん、あなたのおじさんよ」と一言。

▲自宅敷地からは見える山々は壮大。まさに「天空」の世界

単身ブラジルへ。1年半の就農体験

「これから農業をするなら、その前にブラジルの農園へ行ってみたい」。洋文さんの気持ちは誰にも抑えきれず、そこまで言うならと父親の勝文さんがサポートに回ってくれた。1998年、自前のパソコンとデジカメを準備してブラジルへ行き、叔父の紹介でいろんな農園を1ヶ月単位で回りながら、見聞を広めさまざまな農業を経験した。他の労働者と一緒に寮で暮らし、ポルトガル語は現地で覚えた。

▲ブラジルの農園で就農経験を積んだ洋文さん。後にSNSで当時の仲間とつながり、今も数人と交流があるとか

日々、写真を撮ってはリサイズし、父親にインターネットで送信。洋文さんのガジェット好きは父親ゆずりで、勝文さんは1980年代頃からパソコンやインターネットを駆使し、中武ファームのホームページを自作するほど当時のICT最先端の人だった。
貴重な経験、かけがえのない時間を過ごした20歳の洋文さんは、ブラジルの友人たちとの別れに涙しながら帰国した。

農家は「いいものをつくる」だけでいいのか?

西米良村は総面積の96%を森林が占めている。林業が衰退してきた頃、代わりの産業を創出するべく取り組んだのが柚子の栽培だった。
村における柚子の歴史は半世紀にわたる。中武家は祖父の代から柚子を植え、父が「中武ファーム」を立ち上げ、洋文さんで3代目。加えて、ほおずきの栽培、米づくりもしている。

▲青柚子は9月〜、黄柚子は11月頃から収穫(上) ▲収穫の終わった柚子畑。自宅からさらに斜面を登った場所にある(下)

南国宮崎とは言え、冬は氷点下10度、夏は35度超えの厳しい環境。なかでも標高400メートルの厳しい環境で育った柚子は、香りも味わいも高い評価を受けている。

父を見習い、とにかく品質の良い柚子をつくることこそ農家の務め。そんな気持ちで懸命に柚子と向き合ったが、いい柚子はできても単価が安く、栽培面積を増やせば手が回らない。
どうしたら稼げるようになるのだろう? 隣町の飲食店へ柚子と名刺をもって営業もしてみたが取引・契約には至らず、「いや、こんなことじゃない」。試行錯誤の日々が始まった。

自分の柚子を使った他人の加工品が爆売れした現実に、泣く

ある時東京から、西米良の柚子を使って柚子胡椒(柚子と唐辛子、塩でつくる調味料)を作りたい、と問い合わせが入った。企業ではなく個人の方で、わざわざ畑まで来て柚子を見た上で、欲しいと言われ柚子を送った。後日、中武ファームの柚子で作った柚子胡椒の試食販売会を青山でやると聞き、洋文さんは見てみたくなり東京へ。

センスよく展示され、ストーリー性も感じる商品の売り方。小さなスペースでの販売会だったが、1本1300円もの高値でも柚子胡椒が飛ぶように売れた。苦労して収穫しても安値でしか売れない自分の柚子が…。
「目標の3日で1000本が完売しました。ありがとうございます!」
そう感謝されたが、帰りの電車で洋文さんは涙が出たという。たまらなく悔しかった。

▲収穫されたばかりの黄柚子の出荷準備をするご両親

某テレビ番組をきっかけに誕生した“天空の柚子胡椒”

帰るとすぐに妻の麻美さん(平日は役場職員)と、柚子を皮・果汁・種に分けて冷凍し、それを使っていろんな加工品作りに取り組んだ。西米良でも柚子胡椒は作られており、祖母のレシピを真似て作ったりもした。しかし、やはりどう売ればいいのかがわからない。

一方で販路開拓にも注力し、九州の産品を扱う大分県の食品会社がECサイトで柚子(青果)を掲載してくれた。その際にネーミングも大事だろうと“天空の柚子”と名付けた。

ある日某テレビ局から、天空の柚子を取材したいと連絡を受け、承諾した洋文さん。何をつくろうかと番組ディレクターと打ち合わせた際に、柚子胡椒を作って味見してもらったところ、
「…うまい! よし、これでいこう!!」
放送では柚子胡椒をつかった料理を数品作り食べてもらうことに。撮影中、出演タレントは「うんまっ!!」の声を連発した。

満点☆青空レストラン ロケブログ

2700本の柚子胡椒が10分で完売

中武ファームでは、柚子は青柚子、黄柚子を使い、唐辛子も赤唐辛子、青唐辛子を使うことで、「青と青」「青と黄」「赤と黄」の3種類が誕生。番組撮影の一方で、天空の柚子をネット販売するためのバイヤーも来ており、この3種類の柚子胡椒を3週間で900セット作ってほしいと言われた。価格は1本910円、本当に売れるのか不安しかなかったが、放送終了から10分で2700本が完売。西米良の柚子、中武ファームの“天空の柚子胡椒”が瞬く間に全国に広がった瞬間だった。

その後追加注文も合わせると、中武ファームは10〜12月の3ヶ月で12000本を作った。商品がサイトに上がると同時に即完売。加工場で缶詰め状態で働いた。年が明けるとすぐに自社ホームページを作り、天空の柚子胡椒を販売した。ネット上で見つけてくれた人たちが購入してくれるようになり、今では2500人ほどの固定客がついた。

▲インパクトドライバーを改造した自作の電動皮剥き機

▲柚子の皮は表面だけ薄く、薄く。電動になり作業時間が10分の1程度に短縮された

▲自宅敷地内の加工場に、唐辛子や柚子皮を冷凍ストックしている

西米良産の柚子業界全体が向上

天空の柚子胡椒が全国に知れ渡ると、村内で作られていた柚子胡椒はじめ柚子の青果、柚子の加工品まで人気が飛び火した。西米良の柚子だからこそ生まれる味わいを感じ、人々は西米良という天空の村に思いを馳せる。

天空の柚子・天空の柚子胡椒は西米良村ふるさと納税の返礼品にも登録され、寄附額の伸びにも貢献。秋から冬にかけての収穫の繁忙期でも、洋文さんは、まだまだ元気な両親に畑を任せ、午前中はパソコンの前で受注や発送の対応をする時間が増えたという。
「柚子胡椒をつくり始めてから、農家らしくなくなってしまいました」
と笑う洋文さん。 農家は農家でも、商品開発や販路開拓、ネット対応もワンストップでこなすビジネスマンとしての一面も兼ね備え、なんとも頼もしい。

▲今年できた「青と青」。“天空の柚子胡椒”シリーズはぎりぎりの塩加減で、家庭でも冷凍保存のまま使用可能

取材・文:矢野由里(dig edit & design)
撮影:中山雄太(KOYU DESIGN STUDIO)